るんるん について

音楽をこよなく愛するアラフィフです。 いろんなジャンルの曲を聴きます。 少しでもたくさんの素晴らしい音楽をみんなと共有したいです。

BAY CITY ROLLERS

世界中の女の子たちが夢中になったベイシティローラーズ。

なんといってもルックスが可愛いし、カッコイイ。

レスリーの甘いボーカル、ウッディやエリックのギター、デレクのドラムも良かった。

でも、当時はルックスが重要視されてあんまり音楽評価がされなかったように思う。

事実、本国イギリスでは音楽評価は低かった。

でも、今になって聞き返すと二人だけのデートや青春に捧げるメロディ等のデレクのドラムなんかはほんとに見事だと思う。

それにあんなたくさんの曲をバラードからロックンロールまで歌って、踊って演奏している彼らの映像を見ても見事に女の子たちのハートをくぎ付けにするエンターテイナーだったと思う。

スコットランドではおなじみのタータンチェックを着こなして世界中を凱旋したローラーズ。

みんなが手作りのタータンチェックを着てコンサートに行っていた。

ファッションリーダーでもあったように思う。タータンチェックはクイーンのような派手さはなかったが伝統文化であるのでタータンの柄を見ただけで誰のファンかわかるのも面白かった。

もっとも、戦争で亡くなった時に身元が分かるようにそれぞれの家によって違う柄になっているらしい。日本でいうと家紋のようなものだったのかもしれない。

メンバーの出入りも激しかった。

パットマッグリンやイアンミッチェルはわずかな期間だけだったがものすごい人気であっという間にベイシティローラーズのファンが増えた。

そのあとに彼らは脱退したが、パットはパットマッグリンとスコッティズ、イアンはロゼッタストーンを結成した。

アランが抜けた後にイアンが入ったのは負担も大きかっただろう。

また、アランが脱退したのは年を取りすぎというなんとも理不尽な理由だったのもマネージャータムペイトンの考え一つでなんとでもなるグループだったのかもしれない。

二人が抜けた後にまたアランを入れて再結成したのもタムがこのグループをまたなんとかまとめてくれとアランに頼ってしたのだろう。

パットやイアンが辞めたのも一人が目立ってはいけないというグループのルールがあったので居ずらくなったのもあるかもしれない。

それにしても、ビートルズの再来といわれたローラーズ。

日本だけでなく、アメリカ、オーストラリアでもすごい人気だった。

実際、こんな大きな外国のグループが来日するといっても大都市だけでしたが。

今と違ってユーチューブもなかった時代ではあったのですが。

大都市だけでなく地方でも試写会をしていた。ベイシティローラーズのテープが流されてその横でちょっとしたブロマイドやワッペンも販売されていました。

同じように日本での人気を狙って多くの若手ロックスターたちもたくさん来日していました。

とはいえ、やはり当時の人気はやはりルックス重視だったように思う。

結局、クイーンやKISS、ローラーズやアーハは成功したけれども同じように来日したハローやベイビーズなどは陰に隠れてしまったように思う。

フリントロックやバスターもしかり。

とはいえ、ベイビーズなんかは音楽的にももっと評価されるべきだったように思うのだが。残念ながら派手さがなかったために残念な結果になったように思えてならない。

アメリカのロックよりも英国のロックバンドのほうがオシャレでちょっとはにかむところなんかがなんとも可愛く見えたのも人気の一つだったのかもしれない。

この後にはダイアナ王妃が現れてますます英国が人気になったのも彼らの影響があったのかもしれない。

ダイアナ妃が好んでオシャレなアーハやクイーンを王室に呼んだりしていたのもやはり外見が重要だったのかもしれない。

当時の女の子たちがどのようになったかはわからないが少なくとも私の知っている一部の人のなかには、イギリスに行った人もいるし、英文科に進学した人や洋楽が好きになった人もいるのは事実でそれはとても素晴らしいことだと思う。

サタデーナイトでつづりを覚えた人もいた。スコットランドやロンドンなどの地名と場所を覚えた人もいた。

何年もたって再来日した時のレスリーはぐっと渋くなっていた。日本女性と結婚したいと言っていた彼が本当に日本人女性と結婚してこどももいたのは多くの日本人女性の喜びになったと思う。

また、ウッディやエリックが来日したのもうれしいニュースだった。

ただ、本当に同じ曲かと思うくらい違うようにアレンジしていたのは驚いた人も多かったように思う。

タータンハリケーンといわれるくらいあっという間の出現でものすごいお金が動いたと思うのだが、タムが抱え込んでいたようでほとんどメンバーたちはお金にならなかったようだ。

メンバーチェンジが多かったのも彼らの痛手になったと思う。

恋のゲームあたりからエリックとウッディが自分たちで作詞、作曲を始めていよいよ音楽活動も本格化するのかと期待していたのだが。

まあ、もっとも曲がずいぶん変わったのでエリックはこれまでのファンが離れることがあるかもしれない、でも、また新しいファンもできることを期待しているとも言っていたのだが。

そのあとに、レスリーが脱退して、南アフリカからダンカンフォールをオーディションで見つけたもののぱっとしなくなったのは歴然とした事実となった。

彼らが若すぎたのだろう。クイーンのようにメンバーが変わらなければグループもずっと続いたかもしれないし、自分たちで独立することもできたかもしれないと思うと残念でならない。

それにしても、本当にものすごい影響をあたえたグループだったと思う。