アンダープレッシャー クィーン

HOT SPACEに収録されている。

この曲のベースになっているのはロジャーのFEEL LIKEといわれています。

シンプルな愛をテーマにしているようです。

人生を過ごしてきてこの曲に出会えて良かったと思う。

私だけでなく私の友人もこの曲に何度も助けられたと言っていました。

初めはフワッとした感じで始まるのですが途中からだんだん膨れ上がってきて空を突き抜ける感じ、そしてドンドン前に進んでいってやり遂げた感じのする曲。

色々なことがあって何度も落ち込みそうになるけどまた、そこから這い上がって行く強さを感じる曲です。

この時期のクイーンは全作品の中で浮いたような期間だったように思う。

この曲がデビットボウイとのコラボ作品になったこともあるのか、これまでのクィーンとは全然違う。

かなり、クィーンのメンバーの間でも雰囲気が悪くなっていたことも影響しているのかフレディのブラック・ミュージックに傾倒していた時期でもある。

とはいえ、マイケルジャクソンはクィーン好きでも有名だがこの曲はかなり気に入っていたようだ。

Jガイルズバンド  フリーズ・フレーム

テンポのいいノリのいい曲です。

1回聞いたら忘れない曲です。

80年代はイギリスロックが主流になっていたように思うのですがなかなかこのアメリカのロックも忘れてはいけない曲でしょう。

今はこんなに歯切れのいい曲ってあまり聞かないような気がします。

同じアルバムの中にセンターフォールドもありますがこれもノリノリの曲です。

このバンドはボーカルのピーターウルフが主要メンバーだったのにこのアルバムを出した後に彼は脱退してしまいました。彼にとっては不本意だったようで結局追い出されたような形になってしまいとても残念でした。

第二のローリングストーンズといわれることもあったバンドでブルースの影響もうけています。

ただ、何度かのメンバーチェンジやグループ名が変わったり、内部では色々ごたごたしていたのかもしれません。

底抜けに明るいアメリカンロックが歌えるのはやっぱりピーターがいるからだと思います。

a-ha take on me

こんなにもゆったりとした優雅な音楽があるんだと思った。

当時の彼らはとてもオシャレでカッコ良かった。

しょっちゅうロンドンの宮殿に招待されていた。

当時、ダイアナ妃が自分の気に入ってた人を招待していたのだが、

彼らは何度となく足を運運んでいたようだ。

なんか余裕のあるようなオシャレでイギリスの紳士的な雰囲気が押しつけがましくなく、

好感を呼んだのだろう。

音楽を聴いていてもそんな感じがする。

ローリングストーンズ サティスファクション

初めてこの曲を聴いたのは高校生.の時でした。

ピルの事を歌にして歌っているというのは当時の私にとってはものすごいショッキングなことでした。

あわただしく過ぎる忙しさの中でピルを飲んで気を紛らす。

また、避妊薬でもあるピルをこんな風に歌にして歌っているロックシンガーミックジャガーはとても男性的なのかと思っていたのですが、とても中性的でそのギャップがまたなんともいえない魅力的に見えたものです。

この曲のギターも素敵です。

この曲は名曲だと思います。

他の曲ももちろん、好きですがこの曲は強烈に残る曲です。

KISS ラヴィン・ユー・ベイビー

キッスの派手な化粧と火を噴きながらのステージが強烈すぎてたまらなかった。

また、背が高いにもかかわらずさらに厚底のブーツを履くからステージ映えする。

そして、音楽も繰り返しのフレーズでとても歌いやすい。

日本人の心を掴んで離さないグループの一つだったと思う。

NHKで夕方にもよく放.送されていたように思う。

曲がいいので奇抜な衣装や過激な日を吐くシーンでもそれなりに見れたと思う。

字幕で火を吐くのをマネしないでください!といつも出ていたのも昭和ならではのことだろう。

BAY CITY ROLLERS

世界中の女の子たちが夢中になったベイシティローラーズ。

なんといってもルックスが可愛いし、カッコイイ。

レスリーの甘いボーカル、ウッディやエリックのギター、デレクのドラムも良かった。

でも、当時はルックスが重要視されてあんまり音楽評価がされなかったように思う。

事実、本国イギリスでは音楽評価は低かった。

でも、今になって聞き返すと二人だけのデートや青春に捧げるメロディ等のデレクのドラムなんかはほんとに見事だと思う。

それにあんなたくさんの曲をバラードからロックンロールまで歌って、踊って演奏している彼らの映像を見ても見事に女の子たちのハートをくぎ付けにするエンターテイナーだったと思う。

スコットランドではおなじみのタータンチェックを着こなして世界中を凱旋したローラーズ。

みんなが手作りのタータンチェックを着てコンサートに行っていた。

ファッションリーダーでもあったように思う。タータンチェックはクイーンのような派手さはなかったが伝統文化であるのでタータンの柄を見ただけで誰のファンかわかるのも面白かった。

もっとも、戦争で亡くなった時に身元が分かるようにそれぞれの家によって違う柄になっているらしい。日本でいうと家紋のようなものだったのかもしれない。

メンバーの出入りも激しかった。

パットマッグリンやイアンミッチェルはわずかな期間だけだったがものすごい人気であっという間にベイシティローラーズのファンが増えた。

そのあとに彼らは脱退したが、パットはパットマッグリンとスコッティズ、イアンはロゼッタストーンを結成した。

アランが抜けた後にイアンが入ったのは負担も大きかっただろう。

また、アランが脱退したのは年を取りすぎというなんとも理不尽な理由だったのもマネージャータムペイトンの考え一つでなんとでもなるグループだったのかもしれない。

二人が抜けた後にまたアランを入れて再結成したのもタムがこのグループをまたなんとかまとめてくれとアランに頼ってしたのだろう。

パットやイアンが辞めたのも一人が目立ってはいけないというグループのルールがあったので居ずらくなったのもあるかもしれない。

それにしても、ビートルズの再来といわれたローラーズ。

日本だけでなく、アメリカ、オーストラリアでもすごい人気だった。

実際、こんな大きな外国のグループが来日するといっても大都市だけでしたが。

今と違ってユーチューブもなかった時代ではあったのですが。

大都市だけでなく地方でも試写会をしていた。ベイシティローラーズのテープが流されてその横でちょっとしたブロマイドやワッペンも販売されていました。

同じように日本での人気を狙って多くの若手ロックスターたちもたくさん来日していました。

とはいえ、やはり当時の人気はやはりルックス重視だったように思う。

結局、クイーンやKISS、ローラーズやアーハは成功したけれども同じように来日したハローやベイビーズなどは陰に隠れてしまったように思う。

フリントロックやバスターもしかり。

とはいえ、ベイビーズなんかは音楽的にももっと評価されるべきだったように思うのだが。残念ながら派手さがなかったために残念な結果になったように思えてならない。

アメリカのロックよりも英国のロックバンドのほうがオシャレでちょっとはにかむところなんかがなんとも可愛く見えたのも人気の一つだったのかもしれない。

この後にはダイアナ王妃が現れてますます英国が人気になったのも彼らの影響があったのかもしれない。

ダイアナ妃が好んでオシャレなアーハやクイーンを王室に呼んだりしていたのもやはり外見が重要だったのかもしれない。

当時の女の子たちがどのようになったかはわからないが少なくとも私の知っている一部の人のなかには、イギリスに行った人もいるし、英文科に進学した人や洋楽が好きになった人もいるのは事実でそれはとても素晴らしいことだと思う。

サタデーナイトでつづりを覚えた人もいた。スコットランドやロンドンなどの地名と場所を覚えた人もいた。

何年もたって再来日した時のレスリーはぐっと渋くなっていた。日本女性と結婚したいと言っていた彼が本当に日本人女性と結婚してこどももいたのは多くの日本人女性の喜びになったと思う。

また、ウッディやエリックが来日したのもうれしいニュースだった。

ただ、本当に同じ曲かと思うくらい違うようにアレンジしていたのは驚いた人も多かったように思う。

タータンハリケーンといわれるくらいあっという間の出現でものすごいお金が動いたと思うのだが、タムが抱え込んでいたようでほとんどメンバーたちはお金にならなかったようだ。

メンバーチェンジが多かったのも彼らの痛手になったと思う。

恋のゲームあたりからエリックとウッディが自分たちで作詞、作曲を始めていよいよ音楽活動も本格化するのかと期待していたのだが。

まあ、もっとも曲がずいぶん変わったのでエリックはこれまでのファンが離れることがあるかもしれない、でも、また新しいファンもできることを期待しているとも言っていたのだが。

そのあとに、レスリーが脱退して、南アフリカからダンカンフォールをオーディションで見つけたもののぱっとしなくなったのは歴然とした事実となった。

彼らが若すぎたのだろう。クイーンのようにメンバーが変わらなければグループもずっと続いたかもしれないし、自分たちで独立することもできたかもしれないと思うと残念でならない。

それにしても、本当にものすごい影響をあたえたグループだったと思う。